去年の3月11日は洋上だった。
自分にとって最後の乗船調査、
それも最後の操業がちょうど終わった日だった。
乗船調査といっても船は漁船で船員は漁師だ。
調査のためにチャーターしているわけである。
宮城県は石巻の船で、ほとんどの漁師が被災してしていた。
なので、ちょうど地震があったあの時間、
みんなで海にビールやらジュースやらお菓子やらを供え、お祈りした。
1年が経とうとする時期の調査だったので、
休み時間などは当時の震災の様子を聞かせてもらったりした。
あんな状況でも節度があり、暴徒化することも無かったという話はよくメディアで出ていたが、
場所にもよると思うが、実際は結構、物騒だったそうで、
明かりが無く、真っ暗な避難所に見知らぬ人の影がちらつくこともあり、
盗みなどを警戒して、男衆は交代で見張りなどをしていたそうな。
やっぱり、実際は大変なんですね。
なんていうことを話していたのが一年前だ。
今日で震災から早や2年。
大学生活を岩手は三陸町で過ごし、
大学院では宮城の南三陸にもちょくちょく遊びに行った。
前の職場では東北のまぐろ漁船の漁師と付き合い、気仙沼には何度も足を運んだ。
しかし、昨年度はほとんど東北とは関わることが無かった。
それどころか忘れていたといってもいいほどだろう。
自分のやりたい研究に没頭できる期間はわずかしかない。
これまでの成果をまとめることに必死だった。
おそらく今年度も自分の研究のことしか考えないと思う。
自分の道だけにそれなりに必死に生きようと思っている。
そんな自分だからこそ、現地に今でも足を運ぶ人は
たとえそれが仕事だったにせよ、素直に感心する。
いずれ、余裕が出来たら、足を運びたい。
潜水の楽しさを知った、漁師の過酷さを知った、
青春を過ごした三陸に
ちょうど米が切れていたので、
せめてもと思い、岩手の米を購入した。
今の自分に出来るのはこれくらい。